竹村男塾

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島崎藤村の求道精神

近代日本を作った男たち 第13回

Takemura

島崎藤村

干曲川旅情のうた

文学の一形態に歴史文学がある。歴吏上の事実や人物などの史実を背景にして描かれたものである。

西洋では、古代トロイ戦争を題材とした「イリアス」(ホメロス)、スコット(イギリス)の「アイパンホー』(ロピン・フッドで有名)などがある。中間では司馬遷の「史記」が知られている。

日本では、古くは平安時代後期から歴史文学が登場する。最初に出たのは『大鏡』で、藤原道長に代表される藤原氏の繁栄の歴史を描いている。『大鏡』の影響を受けたのが『今鏡』『水鏡』『増鏡』などの、いわゆる鏡モノと呼ばれる歴史物語である。

鎌倉時代になると、軍記物語が作られる。中でも「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の盟国きあり---」の名文で始まる『平家物語』や南北朝時代の『太平記』などが有名である。

下って大正期になると、森鴎外の『阿部一族』が出た。これは形骸化した武士道と人間性の相克を描いている。昭和に入ると、近代日本の歴史文学の最高峰と評価される小説が刊行される。それが今回取り上げる島崎藤村の『夜明け前』である。

藤村といえば、唱歌集には必ず載っている『榔子の実』の作詞者として誰でも知っている。

その他『小諸なる古城のほとり』や『千曲州旅情のうた』なども親しまれている詩である。これらの歌や詩はふるさと、こころ、牧歌といった持情的な感性に満ちており、日本人の心を洗ってくれる。

藤村は明治5年、現在の岐阜県中津川市(当時は長野県・馬籠村)に生まれた。生家は代々、本陣や産屋をつとめる名家であった。幼い頃は国学者でもあった父親から論語などを学ぶ。その後、明治学院に入学し、キリスト教の洗礼を受け、また、西洋文学に没頭するようになる。

一方で、日本の古典、とくに松尾芭蕉や西行などを読み漁る。卒業後は北村透谷(詩人)らと『文学界』という文芸雑誌を創刊し、明治20年代の浪漫主義を推進した。先にあげた詩や歌はこうした中で生まれた。

『夜明け前』の問いかけ

こうして、藤村は明治詩壇の第一人者となったのであるが、明治30年代の後半頃から、社会の現実的問題に対する関心が高まり、明治37年に刊行した『藤村詩集』を最後に、創作の中心を詩から散文へと転じた。

散文へ転向した最初の小説が明治39年に自費出版した『破戒』である。この著作は発売後ベストセラーになり、藤村の地位を不動のものとした記念碑的作品となった。

内容は、部落出身の青年教師が「出自を隠せ」という父の戒めを破って部落出身を告白し、社会の差別と偏見に苦悩しながら、教師を辞すまでの心理的葛藤を描いたものである。

教育界の裏面や貧しい農民の生活などが生々しく描写され、すぐれた自然主義的客観小説として高い評価を得た。

そして昭和10年、6年の年月をかけて『中央公論』に連載された大作がようやく完成した。それが「夜明け前』である。

この長編小説は木曽の馬籠で本陣、庄屋、問屋を兼ねる旧家の当主・青山半蔵が明治維新の動乱期を迎えて、宿役人、村役人としての責任と、傾倒する国学の思想の相克に苦悩し、やがて到来した明治という新時代にも絶望してついに狂死する、という物語である。

この小説がなぜ歴史文学の最高傑作と評価されるのか。物語の主人公・青山半蔵は藤村の実の父親がモデルであり、藤村は実父が青年時代の明治という変革期を描いたのである。半蔵は維新期から明治の成立の中で、何を苦悩したのか。

それは、大政奉還によって生まれた新しい時代が、実は王政復古ではなく単なる西洋化に過ぎなかったことへの疑問ではなかったか。つまり、藤村は半蔵という人物を通して、維新の本質と日本民族の魂を問いかけたものではないだろうか。

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