竹村男塾

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朝河貫一の愛国心

近代日本を作った男たち 第15回

Takemura

朝河貫一

世界的な歴史学者

1905年(明38)5月27日、玄界灘に浮かぶ沖の島沖で激突した日本とロシアの日本海海戦において、日本が勝利した瞬間、世界の歴史は大きく変わることになった。

一つは、日本が世界の表舞台に躍り出たことである。明治維新からわずか38年。明治の日本人が官民あげて国力増進に努めた結果の勝利であった。この気概は太平洋戦争後の高度成長につながる。

二つは、日本の勝利がアジアの植民地開放の契機となったことである。当時、白人と有色人種の差は大きく有色人種はほぼ絶望的な状況にあった。

アジアの人々にとって、同じ有色人種の日本が当時最強の軍事大国・ロシアに勝った事実は希望の光に見えた。現実に、東南アジア、トルコ、インドなどに独立運動が広がっていく。

もし日本が負けていたらどうなったか。朝鮮半島、満州はもちろん、中国も揚子江より北はほとんどロシア領に、南はイギワス領に、南シナはフランス領になっていた可能性が高い。

このように、日本の勝利は日本人に自信を、植民地に希望を与えたが、大艦巨砲主義の道をつき進み、ついにアメリカという征服意識の強い国を敵に回してしまう。この過程で、日本の膨張主義を強く憂慮したのが世界的歴史学者・朝河貫一である。朝河貫一は明治6年、福島県二本松市に生まれた。明治25年東京専門学校(現早稲田大学)に入学し、28年首席で卒業する。この間、坪内逍遥や夏目散石の教えを受ける。

卒業1年後に大隈重信、徳富蘇峰、勝海舟などから援助を受けてアメリカのダートマス大学に入学する。卒業後はエール大学大学院に進み、ヨーロッパ中世史と日本法制史の研究を行い、29歳の時『大化改新の研究』で博士号を受ける。その後、エール大学で教鞭をとりつつ、日欧封建制度の比較研究を続ける。

膨張主義に深い憂慮

エール大学での研究生活の中で、朝河を一躍、国際的に有名にしたのが『入来文書』(薩摩屈の豪族・入来家に伝来した文書の研究)であった。

この研究で注目を浴びるようになった朝河は、専門の研究の傍ら平和運動に力を入れる。特に先に述べたように、日露戦争後の日本とアメリカの関係正常化に努めた。

1904年に「日露衝突」を書いた朝河はアメリカ各地で、日露戦争における日本の立場を演説して歩き、アメリカ国民の理解を求めた。しかし一方で、戦後の1909年「日本の禍機」を著し、日本の満州進出政策を批判する。

その主旨はこうである。

「現在の日本にとって最も重要なことは反省力ある愛国心」である。日本は東洋政策の根本を、中国の領土保全と列国の機会均等の2大原則をもつべきである」とし「いまやこれを反古にして排他の政策を進めているため、世界はそろうて日本を非難している」という。

朝河のいう「反省力ある愛国心」とは何か。彼は武士道こそが愛国心の源であり、4つの重要な元素があるという。「義」「強固な意志」「公平・抑制・礼儀・同情等の徳」「思慮・反省」である。

日清・日露戦争は義と意志だけで用が足りたが、今後は公平・礼儀と反省が必要であると言う。つまり、一時の国益と百年の国害を見極め世界全体との関係を公平に考慮することが重要であると言うのである。

このことに関して次のようにも言う。

「日本文明が世界の憎まれ者と相成候はば、日本のたのむところは自国の兵力の外なく、その負担は恐るべきものになる」

このように朝河は世界の調和を希求する反面、

「たとえば日本が自衛の警察力なきよう新憲法を作ったのは、ソ連の侵略をを好んで招く愚策である」と説く。世界から尊敬された偉大な歴史学者・朝河貫一は愛国者であった。

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