竹村男塾

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高橋是清の大器

近代日本を作った男たち 第4回

Takemura

高橋是清

明治人の大志と教義

人間の能力や性格が一様でないことは誰もが認めることである。このことは、人間が多様性を持っていることや、一つの髄値基準に合った完全人間はいないことを示している。

しかし、最近の評価基準は二者択一的になってはいないだろうか。良いか悪いか、金持か庶民か、地位が高いか低いか、偏差値が高いか低いか、といった基準で人間を判断しているように見える。

歴史を見ればわかることであるが、本当のリーダーという人は今日の狭い価値観にはまらない。今、何かと話題になっている坂本龍馬をはじめ、かつて歴史を動かした人々は、殆ど現在の基準にはあてはまらない。彼らに共通するものは「志」であり、「教養」である。

筆者が学生だった頃は、まだ旧制高校出身の教授が多数おり、殆ど教養のまん中で通すことができた。教養の定義は難しいが、一口でいえば「包容力」、「人間的魅力」、「人間の器」といった言葉で表現できる。つまりcapacityである。

先月号で、日露戦争と東郷平八郎を取り上げたが、軍人以外で勝利に貢献したのは高橋是清である。

当時の日本は戦費が不足し、とてもまともに戦争ができる状況ではなかった。その不足する戦費を調達したのが高橋是清であった。なぜ彼にそれができたか。結論を言えば、それだけの大器であった、ということだろう。

とにかく、その経歴がすさまじい。出自はあまり良くなかったが、頭がよかったので仙台藩から期待され、13歳の時にアメリカに渡る。しかし、入港手続きの書類が実は奴隷契約書だったため、奴隷として働くはめになってしまった。1年後何とか帰国したが、その後の人生もめちゃくちゃだ。

東大の教員になったのはいいが、一方で芸者の家に居候したり、ベルーの銀鉱山開発事業に失敗して無一文になるなど波澗万丈である。唖然とさせられるのは妻と妾が一諸に住んでいたことである。今日の価値観ではとんでもない、ということになろう。

運命的出会いと強運

こんなに乱れた生活をしていた高橋是清が、日銀総裁、大蔵大臣、ついては総理大臣にまで昇りつめる。

是清の最大の功績は何といっても、はじめに述べた日露戦争の戦費を調達したことだろう。開戦当時、日銀副総裁だった是清は当面の不足分1億円(当時の日本の国家予算は約1億8900万円というから、いかに大きな戦費かがわかる〉の調達のために、欧米に出かけた。しかし、欧米の人々から見れば、日本が10倍の国力を持つロシアに勝つ見込みはなく、日本の外債は評判が悪かった。

それでも是清は日露戦争はあくまで自衛上やむをえず起こした戦争であることを訴えて、少しずつ理解されるようになった

渡航後2ヵ月程経って、ようやくロンドンの銀行団から半分の5000万円の引受けを得た。残る半分はどうするのか。この時是清に思いがけない幸運が舞い込む。ロンドンにいた旧友のアメリカの銀行家が、半額獲得の祝いに晩餐会を開いてくれた。その時、同じテーブルで隣席に座ったのがヤコプ・シフというアメリカの大銀行家であった。シフはたまたまヨーロッパ旅行の帰途、ロンドンに立ち寄っていた。この時の様子を高橋はこう語っている。

「いよいよ食卓につくと、シフ氏はしきりに日本の経済状態、開戦後の人心につき細かく質問してきたので、私も出来るだけ了寧に答えた」(高橋是清自伝)

この邂逅が縁となり、シフ氏は残り半分の外債を引受けてくれたのである。なぜシフ氏は日本を助けたのか。そして、二人の避遁は偶然だったのか。様々な意見があるが、最大の理由はやはり高橋是清の「人間としての大きさ」に、シフ氏が、このような人物がいる日本は勝っかもしれないと直感したのではないだろうか。大器の人は強運でもある。

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