竹村男塾

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東郷平八郎の決断力

近代日本を作った男たち 第3回

Takemura

東郷平八郎

日露戦争勝利の要因

近代の日本人が一番輝いたのは日露戦争の勝利であろう。当時のロシアは世界最強の陸軍を有しており、海軍もイギリスと並んでいた。鉄血宰棺といわれ、ドイツをヨーロッパの強国に押し上げた軍事天才ビスマルクでさえ、口シアとの戦争だけはしたくなかった。

司馬遼太郎氏が『坂の上の雲』の中で「まことに小さな国が-」と表現したポッと出の日本が、10倍の国力を持つロシアを破った衝撃は、コロンブスのアメリカ発見に匹敵するとさえ言われる。

それは白人による植民地政策が終結したことである。実際、この勝利は有色人種に勇気と希望を与えた。イギリスのタイムズ社は「日露戦争以降は、これまでのように白人が勝手に植民地を持つことは不可能になった」と書いた。

日露戦争勝利の要因はいくつかあるが、何といっても連合艦隊司令長官・東郷平八郎の沈着・冷静な性格からくる決断力であった。日露が風雲急を告げた頃、東郷は舞鶴鎮守府長官という職にあった。この地位は現役の終着駅である。

退役寸前の東郷を司令長官に抜擢したのが、時の海軍大臣・山本権兵衛であるが、この人事には誰もが驚いた。山本海相の竹馬の友である日高壮之丞が有力視されていたからだ。

しかし、山本海相は2人の能力や性格を次のように分析した。日高は勇気と才能はあるが、それだけに自負心が強過ぎる。自分がこうと決めると人の言うことを開かない。そのため、海軍省や軍令部の命令を無視して、独断で行動しかねない。ロシアと戦うには、勇気と自負心だけではどうにもならない。

そこへいくと東郷は、才気では日高に劣るが、いつも沈着・冷静で、信念を持って事に当たる決断力がある。人の言うことにも耳を傾け、決められたことは必ず実行する。また、東郷は8年間もイギリスに留学して世界の動向を知っている。そして、苦労して軍事技術を身につけている。

運の強さと泰然自若

有名な“T字戦法”はひとつ間違うと味方の被害が大きい。また、パルテック艦隊が対馬沖を通ると信じたのは決断力の高さ以外にない。こんなエピソードもある。

日本海海戦の前年、旅順港閉塞作戦中でのこと、2隻の軍艦が機雷に触れて沈没してしまった。2隻の艦長らのショックは大きく、眼を真っ赤に泣き腫らして、旗艦・三笠に東郷を訪ねた。男泣きする2人の艦長を見た東郷はたった一言「ご苦労だった」といい、卓上の菓子をすすめたという。

この大悲劇の時、観戦武官として日本の戦艦に乗っていたイギリスのベケナム大佐は、東郷の人間としての大きさに感じ入り、リーダーの自若たる態度こそが勝つ要因であるとし、次の海戦は東郷が勝つという確信を持ったと言う。

さて、山本海相が東郷を抜擢したのは、私情より国家を選んだ結果と言える。

この「国家」という意識は戦国時代や江戸時代にはなかったものだ。そして、明治の国家意識が頂点に達したのが自露戦争であった。

このことは、ひとりの英雄を待つのではなく、むしろ多様な人材が一致して国力の高揚に努めることを意味する。つまり、才能ある人間を発掘し、いかに要所につけるかが重要であった。別の言葉で一言えば「組織的人事」ということである。

この人事を見事に成功させたのが山本海相であり、東郷であった。東郷は人事の妙によって才能と特性を発揮し、明治維新によって生まれた国民国家の初めての組識的リーダーになったということができる。

東郷が指揮した日露戦争の勝利は、日本が史上初めて国民に「国民国家」を確認させたという意味もある。また、東郷にはもうひとつの特質があった。運の強きである。明治天皇から東郷抜擢の理由を問われた山本海棺は、「東郷は運の強い男でございます」と答えたと伝えられる。

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